よままごと日記

すみっこで暮らす会社員の読んだ話や見た話。

ネット社会と地方OL、そして脱線

波風立てないおんなきくちです。
三連休中日にもかかわらず何もしていない。何もしていないにもかかわらず、なぜか疲れ切っています。

ところで勇んでぶろぐってみたものの、テキストをアップする。という行為以外にどんなことができるのか、どんな機能があるのか、まったくもって把握できておりません。

ぽちっとお星さまをつけてくださった方、ありがとうございます!


ところで、そのお星さまはいったい何者ですか…!
ありがとうございます!って画面に向かって言ってる。すごい言ってる。
だけで、大丈夫なのかな?

中学生くらいまでは、
けっこうタグとか使ってて。
自分で「ホームページ」とか、作ってて。
昔はホームページって言ってたよなぁ。うんうん。
で、mixiっていうすごいやつがあるっていう噂聞いたくらいから先頭の子が遠ざかり始め、Facebookで周回遅れ。
今や完全なるデジタルデバイド
メールと電話と、あ、LINEはします。
ニュースサイト見て、気になるものがあれば新聞買って、あとWikipediaね。
外で飲んでるときけっこう活躍するね、Wikipediaは。

そんで、SNSがとにかくすごいよ!っていう話をもう数年前から聞いてまして。
うちの会社もとにかくそういうのいかしてこ!ってもうすごい言ってるきがするんですけど。ずっと。

なんかね、思うんですけど、
それずっと言ってない?
っていう。

ほ、ほんとにそいつすげえの…?

インターネットの急速な普及、たしかにそれに私自身大変な恩恵をうけている。
今こうして真剣に文章を書いて。ぶろぐってて。

だけどね、SNS(まああくまでも私のイメージする、SNS的なもの)がビジネスを変えるかって言ったら、
そうでもないんじゃない?っておもう。
やったこともないのにいうなって話なんですけど。

うちみたいな地方の会社も、
自社サイトもってて、公式ついったーとかあるんですね。
で…うん。私ついったーもやってないんすけど、たまに見ると、まあ更新されてないよね。
フォローしてるのも社員じゃん。
それでときどき呟かれてることといえばメディア向けにリリースされてることしかない。
入り口どんだけいっぱいつくっても、
行く先一緒という面白みのなさ!

まあ、うちの会社が単にいかしきれていない、田舎の会社がって話なのだとはおもいます。
改善の余地!

でもね。
SNS的なものの利用単位はやっぱり個人ひとりひとりなのかなってすごくおもう。

そこに企業というマクロな存在が入り込んできて、決められたメッセージを発して、なんか「この番組を見たといってくれたら枝豆プレゼントするよ☆」みたいな、そういうおまけくっつけても、
たぶん、テレビとか雑誌とかへの露出と比べたときに、そんなに効果があるわけではないとおもうんですよね。
たまに見かける企業のキャラクターや社員がつぶやいて話題になる、ってのは
やはり個人単位でこそ力を発揮するものなんだって気がします。
日々メンテナンスするのもそこに人を割かなきゃいけないですし、
一個人のメッセージが企業全体のイメージのように捉えられるというのは諸刃の剣だとおもいます。
かなり「人を選ぶ」ことになりますよね。
まあ、ないよりはあったほうがいいのかもしれないけど…。

東京の小学生も、北海道の会社員も、鹿児島の中小企業もみんな同じ単位で存在してる中で、自分が目立つっていうのはけっこう骨が折れることだとおもう。
かたや365日24時間発信する人間と、9時17時の企業ですから。
SNS的なものそれ自体に経済的なインパクトがものすごくある、ということではないきがする。
インターネット的なやつがどんなにすごくても、
使う人間がかわらなければ、
いつまでたっても秘密兵器のまんまなんだよなって。

ネット社会のおかげで、
地方と東京もかわらない環境で仕事できて、とかいうじゃないっすか。
そうでもないよ。うん。
情報の量が目に見えるとして、ネットから入ってくるものが100あって、
東京の人ときくちが同じ100を享受できているとしても、
東京の人はそこに現地で得られるものがプラスされるわけで。
そこの量の差がかわったかというと、まあそうでもないだろう。
人々がどんな格好してる。どんな話してる。ビルが建設中だ。こんなお店ができた。
視認できる情報量が単純にちがう。
1000万人住んでるんだもの。
まあ、東京住んだことないんですけど。

ずっと東京に憧れる田舎もんのまま
地方の会社に勤めてみて、
東京だけがすべてじゃないんだな、とは最近すごくおもうんです。
いろんなところでがんばってる会社っていっぱいあるし。
地域であいされるってすごくいいなっておもうし。

ただ、感覚的に、
東京ではたらくことと地方ではたらくことはぜんぜん違う。

地方でいきるのもわるくないよね?っていうときには、
言外にふるさとやらスローライフやら地産地消やら、人と人とのつながりやら
そういうことばが込められてる気がするんですけど、
そのことに猛烈な違和感があって。

地方すなわち安穏といきる、みたいな。ほのぼの暮らしやすいよね、みたいな。

ほんとにそれでいいのかわがまちっ…!

東京になる必要はないんです。
ないんですけど、会社が会社として成り立っている、人が人として自立して暮らしている、
そういう町にするためにはそれだけじゃだめなんじゃないか。
やっぱ田舎にいくと心があったまりますよね☆なんていわれてる場合なのか。

まとまらなくなってきたので
何が違うのかってことは、
またおいおい書いてこうとおもいます。