よままごと日記

すみっこで暮らす会社員の読んだ話や見た話。

すみっこで読むひともいる。

最近よんだ本のお話。

 

三島邦弘著『計画と無計画のあいだ 「自由が丘のほがらかな出版社の話」』2014,河出文庫,ISBN978-4-309-41307-5

『失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ』2014,朝日新聞出版,ISBN978-4-02-251211-6

 

私がミシマ社という出版社を知ったのは、
内田樹さんの『街場の文体論』を読んだときでした。
「街場」シリーズをすべて読んでいるわけではないのですが、
「文体論」の響きと装丁にひかれて本屋で手に取ったことを覚えています。
ぱらぱらとページをめくっていると
「ミシマ社通信」なるものが挟まっていて、
変わった出版社なのかしらん、
たのしい本に出会ったものだわと思っていました。

まあ私は日々漫然といきている人間ですので、
またまた本屋で『失われた感覚を求めて』を見つけるまで
ミシマ社の存在はすっかり頭から消えていたのですが。

積まれた新刊を見てはたとそのときのことを思い出し、
ぱらぱらとページをめくるとありましたミシマ社通信。

この本の前段階(続編ではない、と断られていますが)
『計画と無計画のあいだ』という本が紹介されておりまして、
あわせていそいそと購入し、さっそく読みました。

どちらも装丁にあたたかみがあって好もしく感じます。

 

大学に入るくらいまで、
なんとなく出版社に入って仕事をしたいなぁと思っていました。

本が好きだったし、ことばが好きだったし、
自分が人並みにできることといえば「文章を書く」ことくらいだったので、
だったら編集者になればいいかと漠然と考えていたのです。

結果的に現在、事務OLをしていますが。

私が「出版社」に入ることをやめた理由はいくつかあります。
(まるで入ろうと思えば入れたかのような言いぐさですが)

いくつかありますが、そのなかのひとつ。

大学に入ってすぐに受けたひとつの授業がきっかけでした。
内容はいたってシンプルで、
毎週学生ひとりひとりが本の企画をプレゼンするというもの。
教授は東京で編集者として出版社にいたという経歴をお持ちの方でした。
ことばにたいしても、ひとにたいしても、とても丁寧な先生でした。
参加者は理系学部の人も文系学部の人も、
新入生から何年前からこの学校に住んでいるかわからないような長老まで。いろんな方がいました。
たぶん、出版業界志望の人はほぼいなかったと思います。


自分がプレゼンを担当する順番が次週に控え、
企画の打ち合わせをするために
それまで入ったこともない棟の教授の部屋に向かうとき
緊張で頭がびりびりしびれていたことを今でも覚えています。

自分の作りたい本を作る、という
編集者になるならば当たり前に持っておくべきはずの意欲が
私にはぜんぜんなかったのです。
なにも思いつきませんでした。
企画案はどこかからむりやり寄せ集めた「それらしいもの」に過ぎず、
プレゼンも「で、結局なんでこの本つくりたいの?」と
出席者から素朴な疑問をぶつけられて終わったような気がします。

シンプルに、無力感を味わいました。
私はなんで出版社に入りたかったのだろうか?と。

先生に言われた忘れられないことばがみっつあります。

「ひとりで考えつくアイデアなんてたかがしれてる、他人と協力してひとつのアイデアがどんどんふくらんでいくんですよ」

「自分が面白いと思うものを発信するのもいいけれど、誰かが必要としてるものをみつけだすことも大事です」

「あれ、きくちさん、もっと出してると思ったのだけどね」

最後のひとつはあとで説明するとして、
はじめのふたつはなにか指針のようなものにすらなっています。

本を作るためにたいせつなのは、
自分の個性やアイデアや表現力ではないんだ。
何かを伝えるためには、周りを見て、誰かを思うこころが大切なんだ。

ただ、その受け止め方がちょっとばかり度を越してしまい、
自分の内側ばかり見ている人間が編集者になるのは無理だなと
そうそうにあきらめるきっかけにもなったのでした。

(でもやっぱりいいことばだなぁ、あらためて。)

余談ながら最後のことばは、
この授業では自分の出した意見の数がカウントされていて、
半年間終わったあとに各個人の累計が発表されるのですが、
そのとき私の出した数を見て教授がぽつりと仰ったものです。

まあ、たかが授業ですら
「意見を出すこと」に怖気づいてた私ですが、
先生が自分に対して何かしらイメージを持っている
(それもポジティブな)ことに少なからず嬉しさを覚えたのでした。

さて、そんなわけで「出版社」には
憧れやらなんやらな思いを持っています。

ミシマさんの真摯にもがく姿はとても「いいなぁ」と思います。
なんかゆるくて、ほっこりして、みんななかよし。
だけじゃなくて、ぐるぐる考えて泥沼にもはまって、
なお「ほがらかに」という姿勢が、
腐りかかったわたしにちくちくと刺さりました。

ビジネスパーソンにならない、
現場でたたかう人になりたかった。
だから私は編集者になりたかったのかなぁ、と気づかされます。

でもね、わかります私もそう思ってました!!!って
得意げにしっぽ振ってミシマさんに近づいていったとして、
いやお前は違う。お前はわかってないよ。って言われるのだろうなぁという想像をしてきっちり落ち込みました。
こういうのいいよね、すてきだね、ってみんな言うのに、それができる人はほんの一握り。これは一体全体どういうわけなのか。くやしい。くやしい。

本を作ることに対する姿勢と同時に、
副題にもあるように「地方で出版社をする」という試みについて綴られています。
ミシマさん自身は東京で編集者の経験を積み、
地方にいながら現場感覚を磨き続けるために都市で出版社をすることを選んでいます。
私も、東京へ行かなきゃ編集者にはなれないと思っていました。当然のように。

例えば今、転職サイトを開いて、
出版社や編集プロダクションの求人を見たとします。

するとそこには「編集経験」のある人が「東京」で働く。
それ以外の選択肢を見つけることは大変に難しいのではないか。

地方に出版社がある、ということは、
いろんな本をうみだす可能性を広げる気がして、わくわくします。

ただ、そうなるためには途方もない労力がかかるのだろうなとも思います。

私自身は何万歩も手前で止まっている人間ですから、言うだけのやつに過ぎないのですが、出版社が自然にあることのできる地方、そういう土壌をつくるだれかになりたい。と強烈に思わされる本でした。

地方でいきる一人として。